戻ボタン⇒トップページ ☆ C.P.I.の会員になる(海外に友だちをもとう)




卒業した教育里子たちとの関係(スリランカ編)


左ネルニカ 右デヌーシャ  ■□□□■■□■ @スリランカのネルニカさんとデヌーシャさん
    ネルニカさんは現在、語学力をかわれてスリランカテレコムに勤務。
    外国回線専属の交換手をしている。
    三交代で大変とのことだが、水曜日には、SNECC で日本語教師をし、
    勤務開けの午後には、C.P.I.の支援でできたコンピューター学校で学んでいる。

    小さいときに父親を亡くし、母の手ひとつで学校に行けたのは、
    「ほんとうにC.P.I.のお陰」 と言ってくれる。
    日本語と英語をマスターし、大学入学資格もとったのに、
    行かずに韓国に働きに出て母親に仕送りを続けたネルニカさんだ。

    1995年にC.P.I.の里子代表として日本に行き、里親さんにも会えたと言う。
    「里親さんの娘さんが同じくらいの年で、いまでも文通してるんです」 と、
    いろんなところで頑張っているひとたちと友だちになれて嬉しいとのこと。

    デヌーシャさんは、大学にはいって日本語の専門家としての道を進んでいる。
    結婚して、大学で教鞭をとっているが、
    「C.P.I.の里子だった同じ年代のひとたちと会いたい」
    と、同窓会ができるのを楽しみにしている。

次へ

■□□□■■□■ A会社で信頼が厚いニルミニさん
    1988年から6年間教育支援をうけた。
    AL試験を合格したあと大学の聴講生として通い、学位をとった。
    その間は、C.P.I.の関連基金ULEFからの支援をうけた。
    今の会社はデザインと印刷をする会社。デザインではスリランカNo.1。
    彼女は経理を任されている。社長は社員教育に熱心で、経理学校に
    行かせてもらっているとのこと。
    日曜日には、支援を受けていたセンターの学校をボランティアで手伝っている。

    今年、社長に頼んで、支援センターの卒業生を採用してもらった。
    「私がもっと頑張って、後輩をもっと就職させてあげたい」 と言う。
    それが、支援をしてくださった里親さんへのいちばんの恩返しだと言ってくれた。

戻る 次へ
ニルミニさんと後輩
ギータニさんの小さな城 ■□□□■■□■ B専門技術を身につけて独立。スリランカのギータニさん
    ギータニさんはコロンボ郊外の農家に生まれた。
    野菜・パパイヤなどの栽培で生計を立てていたが、彼女が13歳のとき
    父親が交通事故で亡くなった。
    母親はお菓子をつくって売り、なんとか生きていたが、教育どころではなかった。

    C.P.I.の支援で学校を続けることができ、AL試験は合格したが、
    それ以上は母親の窮状を助けたいので大学へ行くのはあきらめた。
    縫製工場で働きながら技術を習得し、
    会社の応援もあって、家の土地を売って小さな縫製工場を造ることができた。
    いまは従業員3人でアンダースカートを作っているが、
    いまに規模を大きくして、卒業した里子仲間ともいっしょに頑張りたいと言う。

    まえにC.P.I.の交流団がきてくれたときに里親の住む地域の地図をもらったと
    机の引き出しに大事そうにしまってあった地図と写真を出してきた。
    「つらいときに出して見ていると、なんだか励まされるんです。 こんなに遠くの国の方が、私を信じて助け続けてくださったんだから、
    負けてはいけないと思うんです」
    と、泣けるような話をしてくれた。
    戻ボタン⇒トップページ

戻る 次へ

■□□□■■□■ Cアナウンサーで活躍しているシシクルさん
    スリランカの民放TNL社の人気キャスター・シシクルさんが
    教育里子の卒業生と聞いてびっくり。
    ときどき、ボランティアをしているという。

    「6年間のバス代・学用品・衣類は、有難かった。父親が貧しかったので、
    とてもAL課程に行けるなんて思っていなかった」
    と当時を思い出して、
    「C.P.I.の方が訪ねてくださって本当にうれしい」
    とにこやかに話してくれた。

    「日本の里親さんから、はじめのうちは手紙をたくさんもらった。
    その方の写真は、いまでも部屋に飾ってある。
    卒業してから手紙を書いていないが、お会いしたい。
    ひとことでいいから、心からお礼が言いたい。
    こうして社会に向かって話す機会を戴いているのだから、
    私も困っている人々を助けられるようになります」
    と誓ってくれた。

戻る 次へ
TNL社の応接室で

教育支援センターの会議室で ■□□□■■□■ D大学で学ぶカウシャリヤさん
    カウシャリヤさんは、小さい頃の 「お医者さんになりたい」 夢をかなえそうだ。
    「父親は公務員で、ずっと社宅に住んできた。
    私は、自分が頭はいいと思っていたが、貧しかったので無理と思い悔しかった。
    お医者さんになってみんなから尊敬もされ、よろこんでもらえることが夢だった」
    AL試験を2回受けて、そして念願の大学の医療コースに進むことができたそうだ。

    「1995年に教育里子の代表で日本研修をしたとき、普連土学園の生徒たちと
    交流したけれど、どうしてるかなと懐かしがった。
    里親さんは、何度かスリランカに訪ねてくださっていると感謝していた。

戻る 次へ

■□□□■■□■ E大学で、国際協力の専門職をめざすニローシャさん
    「まず自分の国の中で、国際協力機関のお役に立てるようになりたい」と言う。
    貧しいとはどのような状態か、貧しさによっておきる行動とは何か、
    国によって状況が違うから、国際協力機関を助けていく現地職員は重要と言う。

    2歳のときに母を亡くし、父の会社が倒産し、貧しい底辺の生活を経験した。
    「C.P.I.の支援がなかったら、今の私はないのです。
    ですから、国際協力機関の手助けがしたい」 と、
    コロンボ大学でその関係の学問を学び、その一方でボランティア教師もしている。

戻る 次へ
教育支援センターの会議室で

教育支援センターの日曜学校で ■□□□■■□■ FSNECC の職員になっている卒業者
    C.P.I.の協力団体SNECCの教育支援センターで、経理を担当するバンドゥラさん。
    AL支援を合格したあと、レストランで働きながら会計の勉強をした。
    ボランティアをしているうちに、誠実さと機転がきく能力を認められ、
    大事な経理の仕事を任せられることになった。

    「SNECC の仕事は、忙しいのに給料は安い。しかし、やりがいがある。
    他の仕事に誘われても、センターのために働きたい」 と決意を語ってくれた。


戻る


■□□□■■□■ GSNECC の職員になっている卒業者

    C.P.I.の協力団体SNECCの教育支援センターで、
    卒業生からの職員の中で最古参のハルシャさん。
    AL支援を合格したあと、日本語の勉強を来日して行い、二級の資格をもつ。
    責任感も強く、結婚した後も職員としてとりまとめをしている。
    多くの企業が、日本語と英語の語学力をとスカウトに来るが応じていない。

    「私は、小西さんやチャンダシリさんに育てられてここまでこれたので、
    お返しをしてSNECCを盛り立てたい。」
    と頑張っている。

センター職員のハルシャさん

戻る